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2010/12/16 (Thu) 都条例可決についての、思うこと色々

決まったのですね…。
仕事中の休憩時間にこの事を知りました。

自分の場合は反対賛成というよりは、思ったことをお一つ。

過度の性表現云々というけれど、じゃあ、その痛みや切なさを突き刺さるように教えてくれるのは大人ですか?ということ。

昔ほど漫画は読まなくなりましたが、漫画が色々なことを教えてくれました。
人を好きになることの切なさと苦しさ、叶わぬ思いで狂ってしまうこと。絶望から立ち直ること、何かを仲間で成し遂げる嬉しさ。
別れと出会い。自立すること、大人になること。人を大切に思う気持ち。
生まれること、死んでしまうこと。その中に存在する越えられない感情。

たくさんの世界を見せてくれました。
現代の日本であったり、または見知らぬ異国であったり、未来であったり、想像の中で生まれた世界であったり。

中学から高校生にあがる前に読んだ漫画で今でも胸に突き刺さる作品があります。
内容は、主人公は信じていた年上のお兄さんに強姦される過去を持つというものでした。
初めて読んだ時はその衝撃に目を覆いそうになりましたが、それ以上に少しずつ彼女を大切に接してくれる別の男性に惹かれ心を開いていく過程に息をのんで過去の痛みを超えた瞬間に涙している自分に気が付きました。

それまではハッピーエンドだったり、恋の駆け引きだったりと、如何に恋愛を明るいものだと描いているものばかり読んでいたので、その作品んに出会った時、頭を殴られたようでした。

その作品の中に強姦されたシーンはもちろんありました。
その中で、誰の一人も笑ってなかった。傷ついた主人公と、暗闇のように表情が全く見えない相手と、それを静かに聴いている彼女を好きだと言ってくれた男性と。

賛美も誇張も、なにもなかったんです。
辛くて切なくて、やるせない痛みの感情しかなかった。

上手くは言えないけれど、痛みを正当化しているわけではないんです。
でも、同時にこれほど痛みを前面に訴えることの出来るものがあろうかと自分は思います。

以前、児童虐待だの、売春だの、そういった自伝が流行ったことがあったなと思い出しました。
今現在、売れ筋の本にそれの一冊も入らないのはどういうことか。
痛みと辛さを抱え過ぎた私たちが、人づての痛みすら拒否し始めているということのような気がしてなりません。そして、今、どれほどの人々が文字だけで綴られた本を読んでいるのだろうと。

その中で、何かを伝えるためにもはや漫画やアニメが欠かせないツールになっているのだと思います。
文字と絵と効果と、物語と。
それらの全てが、さまざまな感情を伝えてくれる、素晴らしいものなんだと思います。

そして、私ごとをお一つ。
自分は同人誌を書いてます。今更ですけれど。
夏や冬に開催されているコミックマーケットに参加させて頂いております。今年の冬もまた縁なく落ちましたけれど。
その世界に入ったのは、今から8年くらい前で、実際にサークルとして参加を始めたのは2004年からです。もう結構経ってますね。

初めて読んだ同人誌は二次創作でしたが、自分の中で書きたいものがあったので、創作JUNEで活動をしております。
JUNEっていうのは、分かりやすく言えばBL(男性同士の恋愛もの)に近いですけれど、ちょっと違います(BLは恋愛もの、JUNEは同性同士の関係性かな:個人的解釈)
過度の性表現。はい、ある意味渦中の真っただ中におさまるようなジャンルですけれど、自分は小説書きです。漫画は描けません。なので、漫画を描ける方をとても尊敬しております。
文字だろうが、漫画だろうが、必要だと思ったら性表現入れます。
例えば惹かれて触れるだけじゃあ物足りなくなって、その先を求めるのは物語として間違っているでしょうか。その先溺れるように関係を続けて、それでも同性同士という障害を乗り越えられず別れてしまったり、どちらかが傷つけたり、そんな痛みを含ませることだってあります。

性に特化するように溺れるような生活を書くことだってあります。
実は大半をそれだけの描写で埋め尽くすことだってあります。物語の中で必要だと自分が思えば書きます。
思い描いたものをどうするか、妄想で終わらせられればいいのですがカタチになったものを共有できるツールが増えた今、それを配布できるカタチにする術を身につけたら、皆さんはどうするでしょうか。
幸い、自分は、そんな中でコミケやその他のイベントの存在を知って、自由に書いて共有することが出来ました。

プロではないです。趣味でやってます。
でも、誰でも自由に表現できる土壌があるってすごいことだと思います。
それを今まで作りあげてくださった先人に感謝の言葉が多すぎて伝えられない。

ちょっと話がずれたけれど。
この条例、使いようによっては今後の表現のさまざまな部分を否定するのに使われる気がしてなりません。
そして、上辺だけの綺麗な水だけ飲ませ続けられるような気がします。
その先に出来る人間は痛みを知らない守られた純粋培養液の中でしか生きられなくなるような気がして。

ぶっ飛び過ぎましたね。

感想じゃなくなってしまいました。

簡単にまとめるとこういうこと。
18歳、この年齢を昔の18歳と一緒にしないで頂きたい。
皆さんが思っている以上に、今の子たちの世はとても生きにくいと思いますよ。見ていると何となくそんな気がする。
そして、この時期までに覚えたことって、大人になっても忘れないし、自分の中の基準の一部になると思う。それに、今真剣に面と向かって性について教えられる大人がどれだけいますか?

痛みを正当化しているわけじゃあないんです。
ただ痛みを知らせないことは、それを教えなかった人の痛みだと思う。

すいません、まとまりませんでした…。
乱文失礼しました。

もう一度、条例文読み返してきます。


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mixiであげた文章を一部加筆したうえでこちらにもアップさせて頂きました。
表現するという立場からだと、何故覆い隠すのかという疑問。

と、同時にある程度のボーダーラインは必要ではないかという葛藤。
実際これはどうなんだというあおり文句や表紙を前面に晒したものが一般書籍と置かれている事実。
たまにそちらに側に立っているからこそ、これはと疑問に思うものをたくさん目にします。

それでも、知ることを抑えることはこれからの為にはならない不安を感じる今日この頃です。

お久しぶりの浮上が真面目な話になりました。

趣旨から外れてしまった… | trackback(0) | comment(0) |


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